子どもを叱ることについて
ある子育て番組の取材を受けることになりました。テーマは「叱ること」。
これをきっかけに、叱ることについて色々と考えることになりました。
対等な人間として付き合いたい
上の子は0歳児の時、それはそれは泣く子でした。命の危機みたいな勢いで、ずっと泣いていました。日々、生き抜くだけで必死でした。
だから、少しは話せるようになった頃、時期としてはイヤイヤ期でしたが、0歳児の時と比べればマシでした。
どんなにぐずっても、それが少なくとも命の危機ではないことがはっきりしていたからです。
歩きたい、歩きたくない、食べたい、食べたくない、着たい、着たくない、欲しい、欲しくない。
希望に沿ってあげたり、それなりに受け流してみたり。
しつけはあまり考えませんでした。それよりも、対等な人間としての対応を大事にしていました。未熟な部分は助けてあげるけど、彼は一個の人間であると。
褒めて育ててみたものの
私は叱られて何かをするのは嫌です。相手も人間なのだから、危険があるときは厳しく制するけれど、それ以外は息子に任せる気持ちでした。
結果として、相手を認める言葉を多く使うように意識していましたし、褒めるところを探して褒めることもありました。
ただ、それだけではダメなのかなと思うようになりました。
やっぱり叱らないのは良くない?
3歳児クラスになり、まずオムツが外れていないこと、箸が使えないことが問題になりました。
口拭きタオルをビニール袋に入れてリュックにしまうなど、決められたお支度があるのですが、それをしないこともあるようでした。
いずれやるようになる、という姿勢では、保育園で迷惑をかけてしまうかもしれない状況になりました。
また妹が生まれたことで、生活が変わりました。部屋で暴れれば、妹を踏んでしまうかもしれません。お兄ちゃんに叫ばれると、妹はお昼寝ができません。
私も赤ちゃんの世話で余裕がなくなっていることもあり、強めの口調で注意することが増えました。
そうすると、多少はきちんとなるんですよね。叱らないのは良くなかったのかもな、と思いました。
ガミガミ言いたくない気持ちって
ただ、そうなるとガミガミ言いながら生活している感じがして、それも嫌なんです。
「ご飯を残さないで」「手づかみで食べないで」と次々に注意する一方で、誰かに強制されて食べるなんて楽しくないよな、と感じてしまったりして。
私がいい人になりたいだけかもしれない。しかも、注意するのは疲れます。だから、手づかみで食べていても放っておくこともあります。
自分の中で、基準がないんだな。
今日は注意することが多くて、望みを叶えてあげられないこともあり、息子は悲しそうでした。しきりに「ママ大好き」と言っていました。何かを確かめるように。
このあたり、私の「叱る」のテーマです。どんな結論が出るのか、もう少し考えたいと思います。